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ちょっと前の産経新聞(iPhone版)の文化欄で坂本隆一さんが、インターネットによる音楽の民主化について書いてました。インターネットによって、音楽が情報となり、古いものも新しいものも、有名なものも無名なものも全て並列になった。これは良いことで、変な権威のようなものは音楽に必要無い。でも、本当に「良い音楽」と「悪い音楽」の区別はそれぞれの主観を超えて実際にあるのでは?という話だったとおもいます。

僕もそうだなぁって思います。僕はインターネットで音楽が完全に並列になったとは思わないけど、でもそれに近い感じになってきてると思うし、それぞれの主観の中に、ある意味音楽の真髄が詰まってのかなぁと、思います。あれ、反論になってる?笑

僕は物理的音楽評価については、どこかの教授みたいに、何分の何ゆらぎとか、そういうのは抵抗があって、そんなもので語れるほど人間の心理は単純じゃないよと思っちゃうのです。というより、そもそも、文化や芸術にそういう「法則」をそもそも求めることが野暮で、法則をぶっ壊すのが「良いもの」の条件だと思うんです。みんな、法則って好きなんですけどね。安心するから。

若輩ながら思うのは、いわゆる良いものとは、聴く人を含めた全ての人の想像力に帰着しる気がするんです。音質や、聴覚の差があってもちゃんと伝わる音楽があったり無かったりすることが、人々の想像力の豊かさを物語っていて、そして聴く人の気持ちや表情も、優れた作り手には、実は凄く正確に伝わるんだから、良い音楽は、それを作った人の周りの環境そのものが、みんなで作ったものなのだと思うんです。

良い音楽は、想像力の糊しろが大きかったり、想像力をかきたてる力が強かったり、そのものが聴者の想像力を超えてたりするんだと思います。

その上で、敢えて何かに似てたっていい、一見ダサくたっていいと思います。すっごく心が震わされたとき、悔しいけどその人がかっこよく見えちゃうんですから。

そして僕はあまり気張らず、そうなりたいと思うのです。
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